2013年10月27日日曜日

シャラポアの父(頂点を目指している人用)


ロシアのチェルノブイリ原発事故があった近くに住んでいたシャラポア。
というより事故の時には彼女は母親のお腹の中だった。

父親は危険を感じ、妻を説得して遠くに引越した。
その時、父は24歳、安定した生活を捨て、見知らぬ土地で1からの再出発だった。

新たな仕事は過酷な油田。
1年後にシャラポアが産まれた。

貧しい生活の中で幼い女の子は
父が唯一楽しむテニスで遊んでもらっていた。

玩具もなく、幼稚園に行くお金もない生活で
雪の中、母親のコートをまとい壁打ちをして
近所の人は「あの子、おかしいんじゃない?」と陰口をたたいていた。

父親は自分のラケットを切って娘に与え
毎日の重労働の後に独学で指導書を読んで勉強し
練習も工夫してシャラポアに教えた。

ある日、父はいまだに世界記録を持つ選手のマルチナ・ナブラチロワのワークショップに
なけなしのお金をはたいて娘を連れて行った。

そこでテニス・スクールにも所属していない6歳のシャラポアを
マルチナはアメリカの有名なアカデミーに行くように促した。

父は娘の才能を信じてアメリカ移住を決意する。
母親はとんでもないことと反対する。

多額な費用、英語すら喋れない。
学費は半端なく高い。
それでも母親を置いて、借金をして娘と二人で渡米する。
もうこうなるバカ野郎としか言いようが無い。

アメリカに着くと入学は8才からで入学できなかった。
しかも360万円という入学費用が掛かるのに
手持ちは7万円しか無かった。

彼はそれでも夢を信じて帰国せず、アメリカに居座った。
言葉が分からない父親は皿洗いや肉体労働を3つ掛け持ちし
学費や生活費を稼いでいた。

それでもシャラポアが朝起きると、枕元に手作りのサンドイッチが置いてあった。
寂しさをこらえ、友達もいない中、家賃を滞納して追い出されそうになりながらも
雇ったテニスのコーチとの練習が唯一の楽しみだった。

9歳になった時にシャラポアは入学テストを受け
あまりの優秀さに奨学金300万円が下り、寮生活が始まった。

しかし、彼女は優秀だということで妬まれ寮ではいじめに合ったにも関わらず
父親に心配を掛けたくないためにそれを言わずに隠していた。


そしてついに17歳のときの初のウインブルドン、世界ランク15位で参加、
マスコミなどは完全にノーマークだった。

ところがとうとう決勝戦まで上り詰めたが、誰もが勝つとは予想しなかった。
なぜならば相手はセリーナ・ウイリアムズの2連覇中の強敵だったからだ。
ところが、なんとアッという間にストレートで勝ってしまう。

優勝が決まるとシャラポアは観客席にいた父親に駆け寄って
二人は抱き合って世界一を喜んだ。
アメリカンドリーム、まさに不可能を可能にした夢の実現だった。

シャラポアは父との約束である世界一をついに達成し
親子の強い絆を世界に知らしめることになった。

その後彼女は国連開発計画の親善大使に就任し
原発事故の後遺症で苦しむ祖国に寄付をしたり
3.11直後の日本での大会にも積極的に参加しチャリティー活動をした。

現在彼らは家族3人でアメリカに住んでいる。
大きな夢を果たすための努力は計り知れない物があった。
ここまでの信念と行動力を持って夢を果たした人がほかにいるのだろうか。





0 件のコメント :

コメントを投稿